集団の存続とパフォーマンス (はてブコメ欄への回答)
「Aしかない」とか極論を言う人の役立たなさ - プロマネブログ
上記記事への いろいろコメント有難うございます。
いくつかのコメントについては、元記事の方で追記してます。
正直オッサンの回答キャパ超えているんで、適当です。
まともに回答できずごめんなさいな。
※ただの自分の記事がちきりん氏の人気に便乗したみたいで正直カッコ悪いなーって思ってます。
今回の記事ですが、追記では回答しきれないと思ったコメント頂いたので回答してみたいと思います。
id:lestructureさん
極論ベースで議論する人が少ない集団、極端な決断をしないリーダーが率いる集団の方がパフォーマンスが良いというデータなりロジックを示さないと反論にならない。賛同するのは、ちきりん嫌いの人だけ。それで良い?
パフォーマンスのくだりは、他に該当する箇所が見つからなかったので、おそらく「現在社会ではそれぞれスタンスが異なる人間、組織が自己の存続をしのぎを削っている状態です。」って当たりに対するコメントと理解しました。
つまり、複数の集団がいた場合、その中で最も高パフォーマンス集団が生き延びると考えられていると読み取りました。
で、私の見解として「極論を言わない集団の方が高パフォーマンスで生き延びる」と解釈されたとの想定です。
※あってなかったらごめんなさい。
オッサンの回答
というわけで、オッサンの回答。
「パフォーマンスだけが生存に関係するわけじゃない模様なので、今回の主題的には気にしなくてもいいと思います」
世界恐慌の影響を受けず、高度経済成長を成し遂げてたのですが*1、現在生き残っているのは恐慌時メタメタだった「自由経済」が生き残ってます。
上記教訓は、現在の高パフォーマンス集団が将来的にも維持存続できず、世情に合わせて逐次変化できる集団の方が生き延びた、という事例になると考えてます。
ただ、今後も上記教訓が生きるかわからない。
なので、社会全体としてみればパフォーマンスばかり気にするのではなく多様性が重要じゃあないですかってわけで。
「Aだ」「Bだ」は排除され、結果として「どっちとも言えない」みたいな中間的でパフォーマンスが低そうな意見が結果として生き残ることもあるかと思いますよ(その逆もしかり。なので何でもありのほうが良いかと思ってます)。
ちなみに、社会集団ではなく個人的な話なら別です。
個人ならば高パフォーマンス集団に所属すべき思います。
ただ、前回の記事とは無関係のプロマネ的な話題となるかな。
で、こっちは本職なのでカンタンに回答しますが
「プロジェクトと目的による」
が正解です。
対応するプロジェクトの特徴や所属するメンバーの力量によっては、リーダーが統率的に活動するウォーターフォール型開発手法の方が、非中央集権的なアジャイルより生産性が上がったり、またその逆もあります。
したがって、時と場合と達成すべき目標によりそれぞれの手法を使い分けるのが正解かと思います。
こちらもまあ元々の主題と似たような回答となりますが、現状を見極め、柔軟に対応するのが重要だと思いますよ。
以上