「Aしかない」とか極論を言う人の役立たなさ
「AともいえるがBともいえる」とか言う人の役立たなさ - Chikirinの日記
いろいろコメントをもらったのですが、はてブコメ欄みると文章がわかりづらいせいで読み違えているなってコメント幾つか見られたので、朱書きで補足追記してます。
普段から極論ばっかり行っているちきりん氏がついに自己弁護?
あまりにもしょうもなかったので、ツッコミをつい入れてしまいました。
さすが、議論の呼び水としての力健在ですな。
「Aだ」「Bだ」ためには問題設定の妥当性が必要
さて、この文章いろいろ突っ込みどころをはらんでますが、最大の問題としては問題設定の不具合を批判者に転嫁している点です。
往々にして議論を行う場合、「Yes」か「No」かの選択を行う場合が多いです。
<追記>言い換えると「A」か「notA」か。
これは議論がスッキリしやすく、答えも出しやすいから。
ところが、「A」か「B」か、という選択の場合、「AかつB」、「AまたはB」という答えが存在する場合があります。
前者の状態は命題の「独立」が成立しているわけですが、後者は「非独立」の状態です。この状態では「Aとも言えるがBとも言える」という答えが真となる場合が存在するわけです。
では、ちきりん氏の議題を見てみましょう
①「大企業が合う人もいるし、合わない人もいる」
②「学校が役にたつかどうかは、人によって違う」
はい。どうでしょう。
両議論とも、「全ての人は大企業が合わない(学校が役に立たない)」という命題設定に対し、「違う事例も認められる」という反論を行っているわけですが、これ自体は「反例」であり、命題否定としては妥当です。
要は、元々の命題自体が排他的でない(真偽両立しうる状態)ため、上記の様な妥当な批判が出るわけです。
それに対して、
「決断できない人間である」
「選べない人間である」
「自分の意見を持てない人間である」
とまあ、好き放題。おいおい。
批判者に責任を負わせるのではなく、もうちょっと命題設定を妥当なものにしてから問題提起することをオススメします。
ついでに言うと、社会問題で排他的関係になっている事例はとんと見ないので、社会問題を議題に上げる際は、「一概に言えない」という批判は当然のものとして受け止めるべきでしょう。
でなければ、きちんとしたデータを提示すること。ちきりん氏は定性的な議論しかしないわけで、きちんと根拠のあるデータを提示すれば、データを基準とした議論ができるため、「一概に言えない」という批判を排除できます。
※ちなみに、本ブログでは後者のスタンスを基本としてます
<追記>
ブコメ欄見ると上記記載あまり読み取られていないのかな~と思いますが、自分で見てもわかりづらかったので追記しました。
私のスタンスは
・問題が雑多で整理できてない「社会問題」は「一概に言えない」はどうしても出てくるので諦めましょう。どうしても「A」か「B」か判断したい議論を行うのであれば、もうちょい論点を明確にして議論レベルまで落とし込まないと。
・「ビジネス課題」など、どうしても「A」か「B」かの判断を迫られる場合は命題設定を妥当なものにしましょう。この場では「判断できない」はご法度なので、問題分割/結合、追加情報等あらゆる手を使って問題を判断できるようにします。
です。
いずれにせよ、「一概に言えない」という回答を命題者が非難できる理由はないと考えてます。質問者が命題提示をミスっただけなんで。普段決断できる人間だって、質問が 曖昧ならそう答えることだってありますがな。(一流企業の社長だって同じ。だからBIとかいろんな企業が導入するわけだし)
ま、回答者批判がなければ、正直今回の記事を書かなかった気もします。そこは筋違いだろってのが一番の気持ちなので。
極論を言うことの役立たなさ
さて、今更本題。
ちきりん氏の提示する議題は基本極論と言って良い話題ばかりです。
最近のブログタイトルを幾つか提示すると以下のとおり
- 大企業のほうが成長できるとか完全にウソ
- 市場が収入を規定する
- 「生産性の概念の欠如」がたぶんもっとも深刻
まあ、どれも極論ばかり。いずれも「一概に言えねえぞ!」ってツッコミが出てます。
ま、当然です。
ビジネスの世界では「この世に生き残る生き物は、最も力の強いものか。そうではない。最も頭のいいものか。そうでもない。それは、変化に対応できる生き物だ」という言葉が度々引用されます。
現在社会ではそれぞれスタンスが異なる人間、組織が自己の存続をしのぎを削っている状態です。
このような社会で必要となるのは、「極論」ではなく「多様化された意見」です。
一見正しそうな極論だって、来年にでも状況が変わってしまえば役立たなくなることだってしばしば。
つまり、社会、世界の変革に合わせて柔軟に対応できるよう「多様化」が重要となります。
となれば、いかんせん結論は「一概には言えない」となるわけです。
となれば、当然社会に根ざした人ほど、「一概に言えない」となるわけで、その批判に対し前述のような放言を行うのは滑稽です。
※というか、極論に疑問も持たずにカンタンに流されるのは社会人としていかがかなと思ってます。
「私はディスカッションをしたいだけ。社会における妥当性なんて関係ない」とちきりん氏は考えているのかな、とも思いましたが、「おちゃらけ社会派ブロガー」としてはイマイチですね。
「おちゃらけ討論ブロガー」ならまあ、納得。
まとめ
てなわけで本日のまとめ。
- 問題提起して想定外の反論が来るのであれば、命題設定が往々にして誤っているかと思いますので、注意しましょう。
- 議論が雑多な社会問題について、極論を信じるばかりでは社会では生きていけません。大多数の人は柔軟に生きていけるよう「一概に言えない」ぐらいで疑問を持つぐらいで、ほとんどの場合はちょうどいいと思います。
- 「社会派」議論は辛いのはオッサンも同様です。あまり炎上しないためにも、オッサンのブログでは政治経済社会を取り扱うネタの場合は、データ分析を今後も心がけたいなと思います
以上。

- 作者: 堀公俊,加藤彰
- 出版社/メーカー: 日本経済新聞出版社
- 発売日: 2009/12/05
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- 購入: 16人 クリック: 264回
- この商品を含むブログ (14件) を見る