プロマネブログ

とあるSIerでプロマネやっているオッサンです。主にシステム開発ネタや仕事ネタ、気になった三面記事ネタの解説なんかしてたりします。

スキルを評価できる上司も会社も市場なんてない世の中で、残業代をもらうことは合理的な判断

誰に評価されたい? 上司? 会社? それとも市場? - Chikirinの日記

 

 う~ん、今回の記事、オッサン的にはやっぱり違うなあって内容でした。

なので、オッサンなりの反論を書きます。

 

今回の記事では、生産性の概念がイマイチ人によって違うことをきちんと理解することがまずは必要です。

 

企業体によって違う生産性

よく一言で言われる生産性ですが、まず業種によって全く違います。

 

製造業の生産性は、資本集約産業、つまり資本投下に対する価値創造となります。

この場合、従業員、生産機械、生産基盤(工場や土地など)に如何に費用をかけずに商品を作り出すか、です。

商品は、時間低下による価値低下があるものの、基本はその価値は移動可能となります。つまり、製造段階での価値をいかに下げるか、が問題です。

つまり、労働効率なども生産性の指標として生きてくることとなります。

 

非製造業の生産性は、労働集約産業、つまり労働力投下に対する価値創造となります。

この場合、生産機械や生産基盤は費用がかからない反面、従業員といった労働力が費用がかかることが特徴ですが、この労働力が価値を産みます。

労働力が提供する価値は、サービス業など基本的には即消費となることが多く、時間局所性や場所局所性を持つことがほとんどです。

 

これらの異なる産業に所属する従業員について、費用と創造価値の考え方は全く異なるわけですね。

 

製造業など資本集約産業であれば、従業員は商品を生み出すためのキーではあるものの、基本は生産機械などの資本投下が如何に適切に行われたか、が勝負です。つまり、従業員が寄与する生産性向上もありますが、決め手は資本投下量となるわけです。

となれば、生産性向上の利益は誰が受け取るか、といえば、資本の投下者である会社が受け取るわけです。

 

これに対し、サービス業など労働集約産業であれば、従業員は提供価値を生み出すものそのものだったりします。もちろん、価値を生み出すための職場など資本投入する必要がある場所もありますが、基本は人がどれだけ素晴らしい仕事をするか、が勝負なわけです。つまり、従業員のスキル向上が生産性向上の決め手となるわけです。

となれば、生産性向上の利益は誰が受け取るのか、といえば、労働の投下者たる従業員となるわけです。

 

というとは、非製造業の立場の人間が「給与があがらないなら生産性なんて上げたくありません」って言うのは至って自然です。

 

だって製造業にて、資本投下がないのにいきなり生産性が上がったら怖いでしょ。新しい機械を買ってないのに、いきなり高品質の新商品が同一ラインから生成されたりしたらビックリですよ。

 

新しい価値が必要なら、それ相応の投資を行うってのが世の中の基本です。

※要は、会社も上司も労働者の適切な評価してないのに、ない物ねだりするなってことですね。

 

流動性のない日本で市場価値云々はただの空論

突然ですが、株式の世界で「上場廃止」って言葉があります。

会社が倒産した場合、上場基準を満たさなくなり株価急落、なんて事態をよく聞くかと思います。

これに対して、例えば上場維持コストが嵩むため、あえて非上場にするなんて事例もあります。この場合もですが、株式価値が0にならない場合でも、株価が低下することがままあります。

これは、色々理由がありますが、非上場という流動性がない世界に株式が移るからっていうのが一因とも言われてます。

つまり、流動性が低い世界では、適切な価値(株式の市場価値)が判断できないため、リスク回避のため株価急落を呼び起こしたってわけです。

 

 

ちきりん氏の記事で度々出てくる市場価値ですけど、よく言われている通り日本の労働市場は流動性が低い状態です。*1

 

つまり、前述の株式と同じで、現在の労働力は適切な市場価値が評価できない状態と言えます。

  • 現在の労働市場では、万人のスキルをきちんと評価できるようになっていない
  • 年次経済財政報告にもある通り、高度スキル人材のマッチングがきちんと行われていない。つまりスキル向上が給与増加につながるような労働市場設計につながってない現実がある。(むしろ、低スキル低賃金のほうが流動性が高い現実がある)
  • 結果、流動性が低いあまりに労働力の転売(ようは転職)のリスクが大きすぎる。このため、ますます労働市場における労働者価値が低下する。

と言った問題がある現状です。

このような状況下で手に入れた労働市場価値なんて、「株式転換する目処がない非上場企業のストック・オプション」と同じ。

流動性の存在しない市場で、「市場が評価してくれるかどうか」なんて自分の気持の問題でしかありません。

 

であれば、「ストック・オプション(市場価値)なんていらないから配当金(残業代)くれ」ってなるのが合理的な考えってものでしょう。

 

まとめ

まあ、いろいろ書きましたが。。。

 

オッサンは、労働集約型産業の中間管理職に位置する人間です。

オッサンの仕事の最大のミッションは、如何にプロジェクトの生産性を向上させるかです。上記のような現実を理解しているので、メンバーの決められた活動時間の中で、チームのアウトプットを最大化するか、を常日頃考えてます。(要は、残業代など余計な費用を支出をしないでみんなが効率的に働けるようにすることが仕事ってわけです)

そんな背景もあり、今回のちきりん氏の記事に違和感を感じたわけですね。

 

オッサン思うに、ちきりん氏に反論した人は、上記のように所属する業種、立場に応じた合理的な判断で批判していると思います。

 

というか、批判の矛先が逆向いているんじゃあないかな。

問題にするべきはちきりん氏に反論をした人の意識ではなく、労働集約型産業の生産性の付加価値増加を労働者に与えない企業や管理職、流動化されてない労働市場、高スキル労働者をきちんと評価できない労働制度、じゃないかな、と思います。

現状の問題に対する合理的な判断の帰着から、ちきりん氏が批判するような意識となっているわけですから。

 

この点を無視して個人の意識をナジっても社会の改善にはつながらないかと思いますよ。

 

 

以上