プロマネの価値を発揮できる場所
最近、PMBOKの再勉強していたらすっかりブログの更新を怠ってました。
ちょっと前に読んだ記事ですけど、自分なりの考えを書きたいなって思ってたんですよね。
元記事はプラントの話でソフトウェア開発とは若干違うのですが、感じるところがあったのでちょっとだけ。
プロジェクトは順調で在り続けられるのか
最初から最後まで順調な仕事では、プロジェクト・マネジメントなんて、ほとんど何もすることがないはずなのだ
コレは全く疑うことがないことで、順調な局面はプロマネのすることなど何もないです。言い方を変えれば、順調な局面に抑えることができなければプロマネの忙しさはうなぎのぼりであり、ときとして過労死寸前の生活が当たり前という過酷な状況となることもしばしばです。
システム開発の現場では、何もしなくても最初から最後まで順調で在り続けられるというのはかなり難しいと感じてます。
小規模で要件も明確、誰もが同じコンセンサスで活動可能な案件であれば、最初から最後まで順調というのは難しくない反面、ちょっとでも規模が大きくなると、開発が進むにつれてアヤシイ状況が発生することもしばしばです。
こういう問題が生じるのは、案件規模が大きくなればなるほど、ステークホルダーが増えてきて、それぞれ目する「プロジェクトの目標・あり方」、つまりプロジェクトの姿が異なることにほかならないかと思います。
知的活動としてのシステム開発とプロマネ技術
では、なぜステークホルダーが増えるとプロジェクトの姿の見え方が変わるのか。
これは、システム開発が知識集約的な仕事*1だからにほかならないかと思ってます。
要は、システム開発の現場が顧客の考えた要望、アーキテクトの考えた理解、SEの考えた判断、プログラマの考えた発想といった知的活動に支えられているから。
作業手順書を作れば仕事ができるわけでもなく、また、ITやツールや機械によって自動化される仕事でもなく、人間の考えが必要な仕事だから。
で、それらの知的活動を行う人間を作り上げた経験、学習履歴といった土台が異なるがゆえに、向いている方向がバラバラになってしまうと。
そういったコンセンサスは、関わる人間が少ない小規模開発案件であれば発散しづらい反面、関わる人間が膨大となる大規模開発案件であれば、四方八方に発散してしまうと。
で、それらの人間がきちんと同じ目標に向けて活動できるようにするためには、個々人の考え、思いをきちんと整理し、動機づけを行い、組織としての活動に転換できる技術としてプロジェクトマネジメント技術が必要になるんだろうと思うわけです。
※これだけだと、プロマネ技術中のステークホルダーマネジメントだけですけど。。。
補足:SIが「労働集約」と呼ばれること
ときおり「SI産業は人月商売だから労働集約産業である」なんて言説を時折見かけるのですが。。。
他にも知識産業と呼ばれるコンサルや研究産業だって、準委任契約結べば立派な人月商売になってしまうオチなんですよね。
※「産業」ではなく「収益構造」ということなのかな。であれば理解できるんですけど。。。
元々、知識集約産業が通産省構造審議会で規定された時「知識集約型産業は労働集約型産業である」という言葉で語られてました。
要は、「知識を発揮するのが人間である以上は、労働集約に必ずなる。労働集約と知識集約産業を分けるのは単純労働か知的労働かの差である」と規定されてました。
「知識集約型産業」の言葉の定義に照らし合わせれば、受託開発は「知識労働集約型産業」となり、サービス開発は「知識資本集約型産業」と呼ぶのが正解かな。
まあ、本当にSIの現場が単純労働的な労働集約的ならば、さっさと仕事のやり方マニュアル化して、それこそ誰にでもできるような仕事にして儲かるようにできるんですけどね。
まとめ
誰しもがマニュアルに従って動く労働集約の仕事や、機械が動き続ける資本集約の仕事の中でプロマネ技術が活きることは無いでしょう。
そういった現場で必要となるのは、また別の管理技術。
繰り返しとなってしまいますが、プロジェクトマネジメント技術が価値を発揮できる局面は、「(本来の定義の)知識集約」の仕事の中でこそだと思います。
以上

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*1:参照 : 知識労働集約型産業としての視点から